
Photo by Auntie P
ある小児癌病棟で脳腫瘍と戦うしゅん君という男の子がいました。彼は重い病に侵されているにもかかわらず、周囲に対する気遣いを忘れません。
そんな優しくて気丈なしゅん君が、ある日たった一度だけわがままを言いました。
ある小児癌病棟に、一人の男の子がいました。
その子の名前は、「 しゅん君。」
彼の脳腫瘍は、誰にも手術できない…
そういう種類の病状でした。でも彼は
いつも看病してくれる人たちに元気に明るく振舞っていました。同じ病棟の子どもたちにもとても優しく
「良くなるから苦い薬を飲もうね。」
「良くなるから頑張ろうね。」って同じ病棟の子に、常に優しい声を掛けたりしていました。
症状を知らない人が見たら
自分も病気だということなど微塵も感じさせないような男の子だったそうです。病状が進んだある日、彼は斜視になっていました。
それを気づかせないように
お母さんや看護師さんは必死に鏡を隠しました。洗面所、トイレと…
そして
夜になると窓が鏡の代わりになるので慌ててカーテンを閉めました。ある日
そんな事情を知らない一人の新米の看護師さんがやってきました。彼女に悪気は微塵もなかった。しかし、落ち度があった…
彼女の胸ポケットに手鏡があることに気づいたしゅん君は
「看護婦さん、その鏡を貸して。」
そして看護婦さんは鏡を貸してしまう…。
どんなに自分の顔を見ようとしても自分の顔が見えない。
そして
彼は、以前とは変わってしまった
自分の顔を見て泣くこともなくひと言、「看護婦さん、僕が鏡で顔を見たこと、お母さんには黙っててね。きっとお母さん、悲しむから。」
そんな心優しいしゅん君が
たった一度だけ、 わがままを言ったそうです。しゅん君のただ一度の「わがままな」言葉。
「ねぇママ、僕は大人になりたいよ。」
「パパみたいな大人になりたいよ。」ママや周りの人にそう訴えました。
ママや周りの人は、慌てて
「えっ、大丈夫だよしゅん。パパみたいな大人になれるよ。何言ってるの、なれるに決まってる。」
その慌てる姿を見て
しゅん君は、いつもの冷静なしゅん君に戻り
「うん。なれるよね。ママあの苦い薬飲むね。」
と言って口をつぐんだのです。
そして
彼はその翌朝
大好きなママの腕の中で安らかに息をひきとりました。そう彼の夢は
「大人になること」
大人の私たちは
今、しゅん君が夢見て、果たすことができなかった
そんな「夢の時」を生きています…
このお話は、アチコチのブログやYouTubeなどに掲載されている文章の中から、しゅん君の物語部分のみを引用したものです。
アチコチに掲載されているため元ネタは不明ですが、たぶんコチラのエピソード(実話)が元になっているのではないかと思います(間違ってたらすいません)。
さて、たぶんみなさんもそうだと思いますが、このお話を読んで僕の胸には色んな思いが去来しました。記事の最後には僕なりの感想を少し書くことが多いので、今回も何か書こうとキーボードの前に座ったのですが、なんだか胸の中にあるものを上手く表現できません。
なんというか、どんな感想を書いても陳腐な気がするのです。どこに焦点を当てて感想を書いてもそれでは足りない感じといいますか。
おそらくしゅん君のお話を読めば、多くの方が「今を大切に生きなくては」という感想を強く抱かれるのではないかと思います。でもこのお話が訴えてくるのは、それだけじゃない気がするんですね。しゅん君の優しさ、強さ、生き様、命、そしてしゅん君を失った人達の悲しみ。それこそ色んなテーマや思いが胸を叩いてきます。
それらのひとつひとつ掘り下げて感想を書くと膨大な文章量になってしまいますので無理ですが、僕が感じた1番強い思いを簡潔に表すことはできます。それは、「人はみなしゅん君のようであるべき」という思いです。
もしかしたらこの感想は、多くの人が抱くものとは少し違うのかもしれません。けれども僕は、死と向き合うしゅん君の姿に人間としてあるべき理想の姿を見たような気がしたのです。
僕は、ずっとしゅん君のような「自分のことを後回しにできる人間」になりたいと願いながら生きてきました。なぜならそれこそが、人も自分も幸せにできる唯一の生き方だと思っているからです。
けれどもそれは、とてもとても難しいことなのです。