
Photo by Gordon
喉の病気で「声」を失ったお母さんがいました。息子とのコミニュケーションに不可欠な声。それを失ってしまった影響は、想像以上に大きいものでした。
お母さんは悩んで悩んで悩み抜き、ある日その苦しみは限界を超えてしまいました。
私は三年前に喉の病気が原因で、声が出なくなった。
息子に歌を歌うことも、絵本を読んであげることも出来ない。
一歳七ヶ月だから、手話なんて分かるわけのない息子との暮らしは
想像以上に意思疎通がままならなくて、いつも息子は旦那の声に反応して
ニコニコしたり、嬉しそうにしてる。
私に対しては、やはり何をいってるのか分からないらしくて、いつも「ううん」と首を
横に振られ続ける。ご飯も、着替えも。そんな生活がつらくて、ほんとうにつらくてとうとう旦那に泣きついてしまった。
そうしたら、旦那が寝ている息子の傍に行って、そっと息子の耳元で
「ママのことが世界一好きな人、手あげて」と囁いた。
そしたら、息子はすうっと手を上げてくれた。何度も、何度も、旦那がもういいよと
笑いながら止めるまで、ずっと手を上げ続けた。
そして、夢うつつにママ、ママと私を呼んでくれた。泣き出した私に、旦那は「ほら、○○はちゃーんと○の気持ちわかってたんだよ、
言葉は通じなくても、全部伝わってるんだよ。お前の頑張ってる姿、ちゃんと見てるんだよ」
と言ってくれた。次の日から、考え方が変わった。
もう、歌えなくても喋られなくてもいいんだとわかった。
心さえ繋がっていれば、いつまでも親子なんだって、初めて気づかされた出来事だった。
ある日突然に声を失ってしまうということは、絶望的にもどかしいことだろうと思います。
自分の意思を伝えられない歯がゆさ、母としても役目を上手くこなせていないという思い。これは想像以上に辛いことであり、我が子に対する愛情が深ければ深いほど、辛さもまた増すのだろうと思います。
声というのは誰もが持っているコミニュケーションツールです。私たち人間は声を使って言葉を駆使し、様々な情報を伝えます。けれど人には、言葉ではどうしても伝わらないものがあります。
そして本当に伝えるべきことは、言葉では伝わらない部分にこそあるのかもしれません。

「声は伝わらないけど、大切なことは伝わっていたんだなぁ」
このお話を読んで、そんな感想を抱きました。